赤石寮|阿南町|萱垣会|新野デイサービス|やすらぎの郷|新野ホームヘルプ|ショートステイ|居宅介護支援|支援ハウス|

 

阿南エリアについて

 

赤石寮のはじまり

赤石寮のはじまり
 
 昭和43年、長野県下最初の特養として「特別養護老人ホーム赤石寮」が誕生した。それは飯田市鼎一色の信濃寮の併設施設としてだったが、この話をするには時間を太平洋戦争終戦直後まで戻さなければならない。
 『流浪の果ての老人は、戦死した一人息子の位牌と僅かばかりの衣類を背負って、喘ぎながらの旅であった。食料の乏しい戦後の生活はまさに飢餓地獄の様相を呈していた。田畑の土堤、路傍の草むらに食うことのできる雑草は全て摘み取られ、根だけが辛うじて残っている状態であった。明日ではなく、今日を如何に生きるかが精いっぱいの生活だった―』
 一人の老人に請われるままに一夜の宿を貸し、囲炉裏を囲んで一夜を語り明かした縁起に始まる話はやがて、昭和24年に「養老院萱垣寮」へと発展し、社会福祉法人の認可が下りてのち、「養護老人ホーム信濃寮」と名称を変えてゆく。そして、時代とともに高齢化や重度化の進む入所者の対応に迫られた法人は、特別養護老人ホームの建設へと舵を切ることになる。
 しかし、国の制度として特養はあっても、長野県下にその前例はなく困難を極めたが、国県補助や日本船舶振興会のご理解によって、赤石寮は開設された。
 当時は、6人部屋・8人部屋が一般的で、職員の配置基準においても入所者10人に対し職員が1人というもので収容施設の色彩が強かったが、寝たきりの高齢者を専門に介護する施設として脚光を浴び、翌年の夏には皇太子殿下と美智子妃殿下が行啓されたのである。
 時は流れ、昭和61年。飯田市が東海地震の危険地域に指定されたことにより、ブロック造の構造物では大変危険であるということから、積極的な誘致運動があった阿南町の新野地籍への移転改築を実施した。
 爾来、数え切れない有縁無縁の皆様のお力添えとご協力をいただき、今では在宅サービスを含めた総合福祉施設として地域と共生・協働している。                               
 

阿南エリアの沿革

阿南エリアの沿革
  昭和61年 4月 赤石寮移転改築(定員70名 ショートステイ4名)
  平成 4年 4月 新野デイサービス開設
  平成11年 9月 居宅介護支援開設
  平成12年 4月 赤石寮増築(ショートステイ4→8名)
  平成12年 4月 やすらぎの郷開設
  平成14年 4月 新野ホームヘルプ開設
  平成24年 4月 支援ハウス開設
社会福祉法人 萱垣会
阿南 エリア
〒399-1612
長野県下伊那郡阿南町新野28-4
TEL.0260-24-2316
FAX.0260-24-2315
赤石寮
ショートステイ
新野デイサービス
新野ホームヘルプ
やすらぎの郷
居宅介護支援
支援ハウス
<<社会福祉法人 萱垣会>> 〒395-0805 長野県飯田市鼎一色551番地 TEL:0265-22-1368 FAX:0265-22-1006